「やりたいこと」の難しさ

「やりたいこと」とは一体なんなんでしょうか。

起業、独立、そういった文言の飛び交う本を読んでいると、総じて「やりたいこと」を「やれ」という言葉が書いてあります。

元々は本田宗一郎さんの言葉だそうですが、この「やりたいこと」というのは、本当に多くの人が頭を悩ませることです。「やりたいこと」を「やれ」と言われても、何が「やりたいこと」なのかを正確に理解している人はあまりいません。

かく言う私も「やりたいこと」が何かを明確にするには、非常に時間がかかりました。

人によってはすぐに「やりたいこと」が見つかったり、言語化できることもあるのでしょうが、私の場合はノート一冊を必要としました。

とにかく、この「やりたいこと」というのを言語化する作業というのは、途方もない時間がかかりました。言語化しなければ、「やりたいこと」というのは自分の中で明確になりませんでした。

言語化していく過程の中で、自分は「やりたい」と「やりたいこと」を分けているのではないかと気づきました。

例えば、「旅行に行きたい」は「やりたい」であって、「やりたいこと」ではない、とか、「仕事」に関するものでなければ「やりたいこと」ではない、という自己ルールを勝手に定めている事に気づいたのです。

しかし、どこからどこまでが「仕事」なのでしょうか。仮に、「やりたい」ことがすべて「やりたい」ように実現できるとして、それでお金ももらえるとしたら、それは「仕事」でしょうか。

生活ができるとかできないとか、家族がどうとか、誰かに迷惑がかかるとか、そういった事は一旦取っ払って、「やりたい」を列挙しました。そのうち目標のみで埋め尽くされたノートには、「やりたい」を実現するためにはどうすればいいかという肯定的なプロセスが書かれ始めます。

「やりたいこと」を10個でも20個でも羅列して、それぞれをとにかく肯定していくサイクルを続けていくと、「やりたいこと」は「今一番やりたいこと」にしぼられていきます。

しぼる基準は、「一番実現できそうだからやりたい」や、「一番興味あるからやりたい」など、何でもいいと思います。とにかく「やりたいこと」を言語化して、リスト化して、向き合ってみれば見えてくると思うのです。

「やりたいこと」を「どうやって実現しようかなあ」というポジティブな感情で頭の中を満たしていると、今度はやりたいことを形にする方法が見えてくると思います。

私自身は、自分が足がかりとなって、多くのITエンジニアが独立して働くような社会を作れればいいと思っています。そのためには、資産をなげうって(雀の涙ほどですが)いろいろな試行錯誤のために使っていきたいと思っています。そういう風に生きていくことで、少なくとも、自分と同じように考える人たちは幸せになると思うし、新しい生き方の方向性を提示できれば、私自身も楽しいと思えるからです。

やりたいことをやろうとするには、常にリスクや何かを捨てることが必要とされます。しかし、これからの長い人生で、すべてを守り続けて生きていくことはできないと思うのです。

リスクが自分のやりたいことを具体化させにくくしているのでしょう。しかし、人生のうち、一年でも、二年でも、大きなリスクをとって何かに挑戦するという期間があれば、たとえ自分が今何歳であったとしても、今後に生きてくるのではないでしょうか。

ですから、やりたいことを探し始めるのは、まさに今、この瞬間であり、あれもこれもやりたいことなら、あれもこれもやってみるべきだと思うのです。

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