仕事のための目的、目的のための仕事

事業用のサイトでも明記しているが、事業売上の一部をセーブ・ザ・チルドレンに寄付している。

一部というのは約10%で、今の自分にはそれが限界だ。
約10%というのは継続サポートと言うものに申し込んでいるからで、毎月予め決めた額が自動でカード払いされるようになっているからだ。10%に満たないこともあるし、10%を大きく超えてしまうこともある。

 

決して多くない事業売上の中で、生活費と寄付と新たな事業への投資にお金を回してしまうと、自分の娯楽には一切お金が残らない。
その現状に不満があるかというと、勿論自分がなかなか事業を大きくできないという、自分に対する不甲斐なさは感じる。しかし、その境遇に腹を立てたり、使えるお金が少ないことに不満は一切感じない。
これは、何のために働くか、ということに対する自分なりの一つの答えだと思う。

 

仕事をする理由は様々ある。金がほしい、住宅ローンを払う、家族を養う、娯楽に出かける、ほしいものを買いたいだけ買う。どれも仕事をするための正当な理由だ。かくいう自分も、上記のような理由のために働いてきた期間のほうが長い。

ところが、独立を考え始めるにつれて、考えが変わった。それだけ多くの仕事や現場を経験してきたからかもしれないが、この仕事はおもしろい、この作業はつまらない、この仕事はおもしろくなる、この作業はやりたくない、がだんだんと自分の中で明確に分かれるようになってきた。
やらなくてもいいと思うことをとにかくやらずに過ごしたが、自分の受け持つプロジェクトやチームはトラブル知らずだった。

そのうち、とにかく突き詰めて自分の面白いと思うことをし続けるとどうなるか、これが知りたくなった。社内定例には10分出ただけでもひどく疲れるのに、設計書に頭を捻っている時は何時間でも疲れなかった。機器を使って検証している時もそうだ。何時間やり続けても疲れない。疲れるのは目だけだ。

そうやって疲れることをそぎ落として行くと、純粋に面白いことだけが残った。面白いことが残ったので、そのアイディアをベースに起業した。お客様に喜んでもらえて、そして今の自分にできることだけやることにしたのだ。

 

そこまで来たら、今度は自分のためのお金を削ぎ落とすことにした。正確に言うと、勝手にそぎ落とし始めた。
お金をモチベーションに動くことをやめた。この案件が取れればあれが買える、そう思うのをやめた。
シンプルに、仕事に役立たないものは要らなくなった。今、仕事より楽しくさせてくれるものが身の回りにない。以前はバカほど投資していた衣服も、どんどんネットオークションで売りさばいている。

そして定額寄付も始めた。
そしたら、自分の娯楽に使うお金は殆どなくなった。
もはや、何のために仕事をしているか、という質問に答えられない。何かのためにやっているわけではないからだ。

何かがあって仕事をしているのではなく、好きなことを楽しいなと思ってやっていたら、徐々にいろいろな話に加われるようになってきただけだ。

 

事業としての安定した売上や、利益が出ている状態はまだまだこれからだが、とにかく疲れない。

その日暮らしのように前日や前々日に打ち合わせが入り、都内を電車でぐるぐるしながら電車の中で議事録やコードを書いているが、それでも全く疲れない。

 

お世話になっている先輩経営者の方は、「お金はあとからついてくる」と言った。
後ろを振り返っても気配は感じないので、振り返ることもやめた。きっと、後からついてくるのだろうな、という妙な安心感がある。
正直言って目新しい言葉ではない。でも、発された空気、文脈、その方の人物像、それらはその言葉にそれ以上ない真実味を与えた。

いつついてきてくれるかわからないが、事業が継続できて、妻に迷惑をかけないほどには、ついてきてくれればいいなと思う。

 

成功するか失敗するかは全くわからないが、人生に一度くらい大失敗したっていいと思う。面白いことだけやっているほうが、面白くないことをやり続けるよりも、何億倍も面白いのだ。
自分の人生の中で、数秒でも面白くない時間があるのは、お金なんかに替えられない大損失だと思うのだ。

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