「お世話になります」は本当にワイルドカードか

「お世話になります」とか「お世話になっております」が気になっています。

その文法の正しさとか、伝えたい意味とか中身とかは置いておいて、つい使ってしまう強い魔力が「お世話になります・なっております」には含まれていると思います。

「お世話をしている」方なのか、「お世話をされている方」なのかはこの際置いておいて、とりあえず世間がお世話しまくっている現状には慣れてきました。

 

しかし、最近では脅迫でもされているかのように、初めてのメールやり取りでも、お世話になっておりますが横行しているじゃありませんか。私は初メールの時は「初めまして」と書くものだと思っており、実際そうしていますが、最近ではとにかく誰彼構わず、最初から「お世話」しまくっている気がしています。

以前の職場では、社内メールでも「お世話になります」社外のお客様にも「お世話になります」が横行していたので、個人的には「お世話のなり方に差をつけるべきではないか、お世話になっているありがたさを表すには少し表現が足りないのではないか」などと思っていたのですが、そのような「余計なお世話」もなきものにしてしまうほど、世間のお世話になり具合は大変なものです。

しかも、最近では

『お世話になります、AA会社のBBです』

という電話に対して(この電話には異論はありません)、

『あ、お世話になります〜』

と返すじゃないですか(私は特に)。

私は、自分が「あ、お世話になります〜」と答えを返すたびに、「お世話になります〜」ってなんなんだ、「あ、」ってなんなんだ、「これからお世話になる」というゲスな心情を明言しているのか、いや、もはや「いつもお世話になっております」という相手への敬意すら崩れ去っていて、短縮してもよいと思い込んでしまった現代人のサガなのかなどと考えてしまい、なんだかよくわからなくなってしまうことがあります。

 

一体なんのお世話をしているんだ、お世話ってなんなんだと考えていると、頭が混乱してきたのですが、この状況は「よろしかったでしょうか」が蔓延した時に非常に似ているのではないでしょうか。

「よろしかったでしょうか」症候群は、今では「声に出して言っちゃうけど聞きたくない日本語」として、世間から立派に認知されていますが、旋風を巻き起こした時はどこぞのアルバイト店員の言葉遣いがおかしいよね?みたいな話からだったと記憶しています。

その後、「よろしかったでしょうか」は正しい、正しくない、「よろしかった」が問題、「でしょうか」には問題がない、むしろ「よろしかったでしょうか」全体で考えた時に完成している、などいろんな議論が飛び交いました。

アルバイトのマニュアルに組み込まれた、というような噂が流れるほど「よろしかったでしょうか」はメジャーとなり、それまで散々批判を繰り広げていた40代以上のミドル層も「よろしかったでしょうか」を連発しているような気がします。

現在では「よろしかったでしょうか」は相手を挑発するためにわざと「よろしかったでしょうか」と発言する鉄板ジョークにまでその地位を高め、「全然大丈夫じゃない・全然大丈夫」論争と並ぶメジャーな地位まで上り詰めています。

 

私は、「お世話になります・なっております」は「よろしかったでしょうか」に匹敵するポテンシャルを持っているのではないかと考えています。

「お世話になります」からの「お世話していない」は十分に鉄板ジョーク化するだけのパワーと勢い、使いやすさがありますし、「お世話」という言葉に含まれる「最初から許されてる感」はTPOを選ばず使えるジョークとしてその地位を急激に高める可能性があります。

 

今後、「お世話になります・なっております」は新人教育に組み込む企業も増えてくるのではないでしょうか。

それが一般的になってくると、今度は「※お世話になっているかどうかは関係ありません」みたいな注釈がつくようになり、最終的には日本中が「お世話」しまくるようになる可能性があります。

 

このように、「お世話になります・なっております」は新たな「声に出していっちゃうし、聞いても心地いい日本語」というジャンルを確立し、その勢いを日本全国の社会人以外にも浸透していくに違いありません。

ですから今後も、「お世話」になっているかいないかに関わらず、「お世話になります・なっております」は日本を牛耳っていくと思うのです。

 

Pocket

コメントを残す