カテゴリー別アーカイブ: ビジネス

パートタイムの可能性

いまいちうまくビジネスの展開ができていませんが、専門職のパートタイムジョブは、もっと広がりを見せてもいいと思っています。

専門職は抱えるためにはある程度のお金がいるし、かといってフルタイムで抱えるほどの仕事はないし、というのがある程度の規模のビジネスをされているお客様にとっては、悩みの種であると思います。

そこで、フルタイムではなく、パートタイムで専門的な技術を投入するエンジニアがいれば、お客様は必要都度そのエンジニアに細々したことを頼めばよくなるのではないかと思っています。

現状は、パートタイムで働けるエンジニアの数が少ないことから、適所に集中的にスキルを投入する効率のよい技術者の採用が一般的ではありません。しかし、お客様の本業を支えるIT技術を、もっと幅広いお客様に届けていくには、こういったパートタイムのエンジニアの存在が欠かせないと思うのです。

私は少しずつお客様にその価値を訴求していますが、なかなかわかって頂けないことが多いのが実態ではあります。そういう意味では、クラウドソーシングのようなサービスの利用者がもっと増えれば、さらにパートタイム的な働き方も増えてくるのではないかと思います。

私は、早朝と夕方が自分にとってのゴールデンタイムなので、その時間に働くことができれば、最も短時間で仕事を終えることができます。

お客様は私の仕事の結果のみを受け取ることを目的としていた場合、私が何時に働こうが関係ないはずです。時簡単金の契約としていた場合、私は通常よりも短い時間で一つの仕事を終えることができますので、お客様としては支払う金額が低くなります。私も短く終えた時間の分、次の仕事の準備ができますので、結果としてより多くの仕事を請け負うことができると思うのです。

この働き方は、残念ながら旧来的な日本のマネジメントスタイルでは機能しません。なぜなら、「管理する」という定義の曖昧な仕事をしている管理職には、朝の9時から夕方の5時まで職場に居てもらわないと、部下を「管理」できないからです。

このオーバーヘッドをお客様に請求し、さらにパフォーマンスの低い時間に働いているエンジニアの時間単金を請求されているとあれば、お客様にメリットはないと思うのです。

私は、今後パートタイムのエンジニア職はどんどん増えていくと思います。優秀なパートタイムエンジニア一人が、パフォーマンスの出ていないフルタイムエンジニア三人以上の働きをすることだってあり得るのです。そのことが実証できれば、社会は少しずつ合理的な方向に傾いていくと思います。

結果、自由な働き方をし、最高のパフォーマンスを叩き出すエンジニアが幸せな生活をするようになり、社会はよりよい方向に向かうと思うのです。

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受注失注の重み

自分でビジネスを始めてみて思うことがあります。それは、受注したとき、失注したときの高揚感と胸の痛みです。

おかげさまで、少しずつ手探りの提案をして、いくつか受注を頂いたり、いくつか失注を経験したりしています。やっていることはサラリーマン時代と大きく変わりませんが、自分自身の心の中は全く違って感じられます。

サラリーマンをしているときは、受注をしても失注をしてもどこか「他人事」のような部分があり、心から喜んだり、心から悲しんだりすることはありませんでした。

もちろん気持ちの面では受注を喜び、失注を悔しく思っていたのですが、完全に自分のことだと受け止めることができずにいたのです。それはきっと、ビジネスがどこか「他人事」のものであったからです。自分の中で、他人から頼まれたことをやっている、という感覚を捨てきることができなかったからでしょう。

特にエンジニア職として、どちらかというと、提案に「ついていく」側だったので、その辺りのよそよそしさをぬぐい去ることができずにいたのかもしれません。

しかし、今はすべての提案を自分で考え、自分で試し、それをなんとかビジネスに結びつけていくというプロセスを繰り返しています。圧倒的に失注の方が多く、何も前に進められずに悔しい思いだけをして終わることが殆どです。

ですので、失注の苦しみは何度も味わっておりますが、そのときの胸の痛みはサラリーマンをしていた頃とは比べ物にならない痛みです。一生懸命頭をひねって導きだした我が子のような提案を真っ向から否定されたような、そんな谷底に突き落とされるような気分になるのです。

それはきっと、何もかも自分で考え、何もかも自分で決断しているからこそ、その提案にかける思い、お客様の環境をよくしたいという考えも人一倍になるからだと思います。

対して、受注のときの喜びは、それはもうすばらしいものです。自分の考えを人に認めて頂けるということが、これほどまでにすばらしいのか、こんな思いをすることができるのなら、もっと早く独立すべきであったと、心から思えるのです。

わからないことだらけ、失敗だらけ、できないことだらけで奮起と挫折の毎日を過ごしています。楽な道を進みたい、ショートカットしたいと思うことばかりです。

それでも、この受注の喜び、失注の痛みを知ることができた。それだけでも、自分で仕事を始めてみてよかったと思っています。なぜなら、将来私に仲間ができたとき、このときの気持ちは彼ら、彼女らに伝えることができると思うからです。それで少しでも、その人それぞれに合った働き方をしている人が増えたらいいなと思うのです。

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「やりたいこと」の難しさ

「やりたいこと」とは一体なんなんでしょうか。

起業、独立、そういった文言の飛び交う本を読んでいると、総じて「やりたいこと」を「やれ」という言葉が書いてあります。

元々は本田宗一郎さんの言葉だそうですが、この「やりたいこと」というのは、本当に多くの人が頭を悩ませることです。「やりたいこと」を「やれ」と言われても、何が「やりたいこと」なのかを正確に理解している人はあまりいません。

かく言う私も「やりたいこと」が何かを明確にするには、非常に時間がかかりました。

人によってはすぐに「やりたいこと」が見つかったり、言語化できることもあるのでしょうが、私の場合はノート一冊を必要としました。

とにかく、この「やりたいこと」というのを言語化する作業というのは、途方もない時間がかかりました。言語化しなければ、「やりたいこと」というのは自分の中で明確になりませんでした。

言語化していく過程の中で、自分は「やりたい」と「やりたいこと」を分けているのではないかと気づきました。

例えば、「旅行に行きたい」は「やりたい」であって、「やりたいこと」ではない、とか、「仕事」に関するものでなければ「やりたいこと」ではない、という自己ルールを勝手に定めている事に気づいたのです。

しかし、どこからどこまでが「仕事」なのでしょうか。仮に、「やりたい」ことがすべて「やりたい」ように実現できるとして、それでお金ももらえるとしたら、それは「仕事」でしょうか。

生活ができるとかできないとか、家族がどうとか、誰かに迷惑がかかるとか、そういった事は一旦取っ払って、「やりたい」を列挙しました。そのうち目標のみで埋め尽くされたノートには、「やりたい」を実現するためにはどうすればいいかという肯定的なプロセスが書かれ始めます。

「やりたいこと」を10個でも20個でも羅列して、それぞれをとにかく肯定していくサイクルを続けていくと、「やりたいこと」は「今一番やりたいこと」にしぼられていきます。

しぼる基準は、「一番実現できそうだからやりたい」や、「一番興味あるからやりたい」など、何でもいいと思います。とにかく「やりたいこと」を言語化して、リスト化して、向き合ってみれば見えてくると思うのです。

「やりたいこと」を「どうやって実現しようかなあ」というポジティブな感情で頭の中を満たしていると、今度はやりたいことを形にする方法が見えてくると思います。

私自身は、自分が足がかりとなって、多くのITエンジニアが独立して働くような社会を作れればいいと思っています。そのためには、資産をなげうって(雀の涙ほどですが)いろいろな試行錯誤のために使っていきたいと思っています。そういう風に生きていくことで、少なくとも、自分と同じように考える人たちは幸せになると思うし、新しい生き方の方向性を提示できれば、私自身も楽しいと思えるからです。

やりたいことをやろうとするには、常にリスクや何かを捨てることが必要とされます。しかし、これからの長い人生で、すべてを守り続けて生きていくことはできないと思うのです。

リスクが自分のやりたいことを具体化させにくくしているのでしょう。しかし、人生のうち、一年でも、二年でも、大きなリスクをとって何かに挑戦するという期間があれば、たとえ自分が今何歳であったとしても、今後に生きてくるのではないでしょうか。

ですから、やりたいことを探し始めるのは、まさに今、この瞬間であり、あれもこれもやりたいことなら、あれもこれもやってみるべきだと思うのです。

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新しい経験の面白さ

よちよち歩きのビジネスをはじめて、日々新しい事の発見や経験があります。

なかなか売上に結びつかず、ひたすら堪えるしかない思いをする。
自分のスキルを巧く伝えられず、お客様に真の価値を訴求できない。

こういうような悔しい思いや、ふがいない経験ももちろんあります。しかし、本当に素晴らしいと感じるのは、これまでの自分の視界を飛び出した事によって見えてくる全く違った世界です。

先日は一瞬で決まる商談を経験しました。全くお会いした事のない分野の方と、お話できるチャンスに恵まれました。Web会議のシステムで驚くほど迅速な打ち合わせを経験しました。

自分の立ち位置や、看板を何も気にせず、ただお客様のシステムが気になるので、という理由で自由に動き回れる楽しさは何にも代え難い経験です。

本当は売上や利益を気にしながら、一喜一憂しなければならないのかもしれません。しかし、せっかくの自由な経験をするチャンスを得たので、とことんまで経験していく事の方が大事だと考えています。

歳を経ていくと、経験したことのある事の方が、経験したことのない事より多いかのような錯覚に陥り、「別にやらなくていいかな」と切り捨てて生きていく場面が多くなりがちに感じます。

私も三十代半ばに差し掛かっていますが、自分が経験豊かな人間であるかのように錯覚してしまいがちになることがしばしばあります。

しかし、実際は経験したことのない事の方が遥かに多く、専門としているネットワークやセキュリティの分野でさえ、まだまだ経験したことのない事の方が多いのが事実なのです。

それはどの専門家にも言えることですが、弁護士だって世界中の全ての訴訟を経験することは不可能だし、裁判官も全てをさばく事はできません。

重要なのは、新しい経験をするには、新しい経験を得に、自ら出向かなければならないという事です。求めなければ得られません。

一つのフィールド、一つの文化の中で、全てを得る事は絶対にできないのです。新しい経験や、新たな成長の高まりを求めるのであれば、自ら狩りにでかける事が重要だと思います。

新しい経験を意識的にしていないと、新しい経験することはとても面白い事だと、人は忘れがちになります。童心に還り、働くことも経験して行く方が、人生は面白いのではないかと思うのです。

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夢をかなえるゾウを読みました

話題になってからしばらく経っているかと思いますが、当時は読む機会に恵まれませんでした。ですが、最近、妻に薦められたこともあって読んでみました。

素晴らしい本でした。

幾つか既に実践している課題もありましたが、「トイレ掃除」は毎日するようにし始めましたし、「靴磨き」の頻度もあげる事にしました。元々「プレゼント」は好きな方ですが、もっとできることがあるのではないかと考えるようになりました。

内容としては、しがないサラリーマンの主人公が、少しずつ成長していくサクセスストーリーですが、ポイントになっているのは、要所にちりばめられた自己啓発的な示唆です。

インドの神様であるガネーシャが主人公に対して日々課題を課していき、その課題に挑戦していきながら、主人公は「やりたいこと」に近づいていきます。

時折、自己啓発本を批判したり、意味がないなどと切り捨ててしまうような内容も見かけますが、それは半分正解で、半分不正解だと思います。

自己啓発本自体には確かに意味はありませんし、書いてある事も大体似通っています。書いてある事を実行してみるというマインドを醸成できなければ何冊読んでも身になりません。それは、歴史書であっても、教科書であっても同じ事です。

しかし、似たような事が書いてあるな、と批判的な目線で見るのではなく、何か新しいヒントがあるかもしれないという好意的な目線で読めば、内容の見え方も変わってきます。要約すれば同じ事を言っていたとしても、表現の仕方は作者によって全く違います。表現の仕方に着目して読めば、少なくとも表現の仕方について学ぶことはできるのです。

「何かを学ぶ」と決めて読んでいれば、どんな本からでも「何かを学ぶ」事はできるはずだと思います。

少なくとも、私はこの本から多くの事を学ばせてもらったので、非常に有意義な時間を過ごせました。

私はKindleで読みましたが、Amazonマーケットプレイスであれば、中古で1円から買えるようです。

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働き方を変えるチャレンジ

常々こう思っていました。

朝4時から昼の12時まで働く日が週に三日。朝7時から夕方5時くらいまで働く日が週に二日。これぐらい働き方に自由度があれば、自分のパフォーマンスは最大化できるはず。

こうも思っていました。

会社が貴重な時間と安くはない交通費を投じて、オフィスに通わせる意味は何だろう。Skypeやビデオチャットで解決する打ち合わせは週に何件あるだろう。

これらを突き詰めて考えていくと、私の働き方はオフィスには存在しませんでした。会社の中にも存在しません。探していくとどこかの企業に存在するかもしれませんが、探す時間がもったいないと感じるようになりました。

この事を色々なエンジニアに話してみると、同じように考えているエンジニアは非常に多い事に気づきました。

生産性高く仕事ができる環境は人それぞれ違い、考え方や生活習慣も人それぞれ違いますが、朝9時にオフィスに行かなければならない事だけは決まっています。生産性高く仕事をすることが求められているはずですが、それよりも朝9時にオフィスにいることが優先されます。

これは本当にあるべき姿なのでしょうか。本来はもっとパフォーマンスを出せるはずの人たちの個性を殺しているのではないでしょうか。

 

「やってみよう」の信条をもとに、私は独立する事にしました。

If not me, who? If not now, when?

これは、Emma WatsonがUNで行ったスピーチの一説ですが、私にもぴったり当てはまると思っています。

私がエンジニアとして、自分の思う働き方を少しずつ確立していく過程を共有することで、一人でも多くの方が最高のパフォーマンスで、自由に働くようになっていけばいいなと考えています。

最高のパフォーマンスが出せる時間帯に、できるだけ質の高い仕事をしていけば、少しずつでも仕事が認知され、働き方が成立していくのではないかと考えています。

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「人月商売の害悪」記事を読んで

中嶋聡さんのメルマガを読んでいたら、ITProの記事が紹介されていました。

IT業界の人月商売、多重下請けがもたらす45の害毒
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/watcher/14/334361/072100007/?ST=ittrend&P=1

すべての記事を読むにはITProにユーザ登録をしなければなりませんが、無料なので登録されていない方は登録してもいいかもしれません。
いろいろと書きたい事が浮かんでくるいい記事だと思います。

45も害毒があるということですが、SI’erの中にいる自分から見ると(もうすぐやめるわけですが)、概ね記事の内容は間違っていないと感じます。

おそらく、SI’erの中にも危機感を感じている人は少しは居ると思いますが、私のように、実際に出て行く決断をする人は非常に少ないと感じます(というか、出会ったことはないです)。
管理職の間でも危機感はあまり感じられず、社内では人月商売が永遠に続くかのような発言も多く見られます。危機感を感じている人は0ではないと思いますが、母数からすると0に限りなく近いのではないかと感じます。

記事と少しかぶる部分もありますが、私は46番目の害悪として、利益圧迫構造の負のスパイラルに入りやすい、というのを挙げたいと思います。

私の場合、人月商売でない業界から人月商売の業界に飛び込んだわけですが、人月における見積もりには、日増しに違和感をおぼえていきました。
優秀であろうとなかろうと、会社として「人月」ありきで値段設定がされるために、使うエンジニアに関わらず価格は一定になります。使われるエンジニアはどれだけ価値を示し、労働原価を抑えて利益率を上げようとも、多くの場合高い評価にあたりません。

ですから、定められた自分の原価範囲を超えないことにだけ気をつけて、ぎりぎりの労働時間でダラダラと仕事を行い、生活のために残業代を稼ぐことに違和感をおぼえなくなります。

私は入社当時、当時の本部長クラスの偉い人と対話する対話会というのに参加したのですが、その際にこの残業代の違和感に果敢に突っ込んだのをよくおぼえています。その当時頂いた回答が「そのうち慣れる」という閉口を妨げる素晴らしい物だった記憶が今も強く残っています。

原価感覚や利益感覚が薄れてくると、「どれだけ自分が忙しいか」、「どれだけ自分が長く働いているか」、というのが一つの優秀/非優秀の基準であると勘違いを始めます。そうなってくると始まるのは、長時間勤務の自慢試合です。

そのバックボーンの中で育ってきた管理職が評価制度を握り始めると、評価の基準は生産性や利益率ではなく、労働時間の長さ、どれだけ会社にいるか、が中心になってきます。
極論すると(私の中では全く極論ではないですが)、「プロジェクトを炎上させずに先手を打って立ち回り、お客様のため、会社のために全力を尽くして頑張った人」よりも、「自らのケツの甘さで着火材をまき散らしながらプロジェクトをすすめ、火がついたら上司に大変だ大変だと叫んで泣き言をいい、やってる感を出している人」の方が評価されるということになります。

人月商売が当たり前の環境下では、前者は、効率よく生産性高く仕事を進めているため、残業は少なく、傍から見ると仕事をしていない人のように見えます。後者は、傍から見るといつも仕事をしているように見えますが、効率悪く生産性低く仕事を進めている傾向が高く、残業は多いです。

炎上しないと評価されにくい状況ですと、どれだけ利ざやを稼ごうと、どれだけ問題を起こさない様進めようと、社内評価自体は上がりにくい傾向にあります。効率性を上げて残業時間を減らしているわけですから、手取り収入も相対的に低くなります。

こう考えている人がいるかはわかりませんが、適度に炎上していた方が自分の実入りはいい訳ですから、適当に進めておいて、適度に炎上させておき、必要なだけ残業して、手取り収入を上げておいた方が、自分にとっては都合がいいという事になります。

この状態が各プロジェクトで起こると、会社にとってはたまったものではありません。
人件費の割合が増えるため、営業利益がどんどん圧迫されていく事になります。人件費が上がると、設備費などの固定費も上がっていく傾向にあるとされていますので、倍々ゲームで営業利益は圧迫されることになります(というような根本的な利益構造がわかっている人はあまりいないように感じます)。

さらに名炎上プレイヤーが昇進しやすい傾向にありますので、その下で育っていく人たちはどんどんと炎上カラーに染まっていきます。炎上カラーのプレイヤーが増えるとさらに利益を圧迫し、会社にとってはボディブローのように効いてきます。そのボディブローを十年以上も喰らっていると、さすがに巨大な会社でも厳しい状況になると思います。

と、これが日本のIT企業(SI’er)の経常利益率が低い傾向にある理由だと思いますが、なかなか今後も改善は難しいようです。まずは粗利ベースの考え方を改めるところから始めていくしかないように感じます。

かつて私は、あるプロジェクトチームで、外出し・丸投げの構造を改め、自衛でエンジニアリングするように構造を改めたことがあります。
その際にも、「この会社の仕事のやり方と違う」、「リスクが大きくなるのではないか」などの批判や懸念を色々と言われました。私の場合は聞こえないフリをしてさっさとやりたいようにやってしまったわけですが、その後、チームの技術力はすごい勢いで高まり、生産性はかなり改善されました。トラブルにも強くなったため、生涯価値で考えるとかなり向上したと考えています。
私が抜けた後もチームがその状態を保っているかはわかりませんが、いずれにしても、あの当時の選択は間違っていなかったと考えています。あとはその生産性と評価が繋がれば、継続して好サイクルは生まれていくはずなのです。

日本のSI’erが今後も継続していくためには、利益構造を改める必要があると私は考えます。利益構造を改めるには、利益のでやすい仕組みづくりをするべきであり、売上や炎上で評価するのではなく、最終利益に対してどれだけ貢献したかで評価すべきであると考えています。

そうすることにより、数字にシビアなエンジニアや営業が育ち、サイクルを好転することができるのではないかと考えます。

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