カテゴリー別アーカイブ: ビジネス

すべて「ですます」のせいかのように

すべて、「です、ます」のせいだった。

自分はこれまでブログを「ですます」調で書こうとしてきたのだが、それだと妙にかしこまった気がしていた。

文章を書こうとすると、妙に調子が狂う。

もっと淡々とした文章を書きたいと思っているのに、です、ますでブログを書こうとすると、妙に息苦しい。

くだらない慣習だと思って「ですます」を辞めてみたらどうだ。

相変わらず書こうとしている内容はくだらないが、自然体で書けるようになったではないか。

というわけで、これまでの「ですます」なんてなかったかのように、自由に何かを書いていこうと思う。大体文体なんてどうでもいいのだ。誰に気をつかうでもないし。

 

さて、おかげ様で少しずつ忙しくなりつつある。

事件に大きいも小さいもないと織田裕二が言っていたが、お客さんの課題にも大きい小さいがない。依頼を頂いたら全力で課題をぶっ潰すスタイルに日々磨きをかけている。

課題を解決する、と言うと、なんだか少し気取っているような気がしてこそばゆい。自分のスタイルに合うのは、課題をぶっ潰して粉々にするような全力投球だと思う。

 

企業で仕事していた時は、いかにして効率的にオートメーションに近い形で仕事をこなしていくかが重要だった。

より多くの仕事を短期間でこなすためには、すべての仕事に全力投球するのではなく、フレームワークの中である程度作業化していくのが重要だからだ。

しかし、これがとてつもなくつまらない。

つまらないから鬱憤がたまり、鬱憤が溜まるからはじけて飛び出す。全力投球できないのは、つまらないのだ。

 

その点、自分の事業であれば、どんな金額だろうが、どんな規模だろうが、そのタイミング、その瞬間に自分の持っているすべてを出そうと一生懸命やったって、誰にも文句は言われない。

慣れ親しんだ機器のよく知ってる設定項目であっても、全力でぶつかると知らない事実があることに気づくものだ。知らないことを知れることは成長だし、知っていることが増えることもまた成長だ。流れ作業の中ではきっと気づくことのできない事実。

 

確定申告やら請求やら、会社で働いている時と比べたら面倒なことも増えた。面倒だなあと思うか、知らない世界を面白いと思うか。ちょっとした気分次第で成長曲線は大きく変化する。そして、なんでもやってみると、意外と面白いものだ。

知っている、と、やったことある、は、はっきりと違う。

それらは全く別物だ。

同じ土俵でも延長線上でも親戚でも友達でもない。

知っている、と、やったことある、を混同してはいけない。

知っているだけでやったことあるかのようにふれ回るのは自由だし、そういう趣味があるなら好きに吹聴すればいいと思う。それで迷惑を被る人がいなければ、その人の自由なのだ。

だけど、成長したいと思っているのなら、知っている、と、やったことある、を自分の中で厳格に区別しなきゃならない。

知っているだけでやったことあると思い込んでしまったが最後、絶対にやってみようと思わないからだ。

あのgoogle glassも失敗する時代だ。やってみないと絶対にわからない、それだけが絶対なのだ。

 

「です、ます」に拘って書いてきたブログから「です、ます」を捨ててみる。

やってみないと、その先は見えてこない。

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身も蓋もないことが全く起きない話

あれは、いつの頃だったでしょうか。

新しいビジネスを検討している打合せだったと思います。かつて一緒に働いていた上司の方に、「おまえ、そんなこと言ったら身も蓋もないぜ(笑」と言われて以来、私の中で「身も蓋もないと言いたい」欲求が渦巻き続けています。

 

「身も蓋もない」という極めて完成された語感もさることながら、その言葉を使わせてくれる状況がまったくもって起きないその使用機会のレア差に、私の使用欲は高まるばかりです。

飲み会や、ちょっとした雑談の中で、適宜「そりゃ、身も蓋もないな(笑」などとぼそっと呟くようにして欲求を騙してきたのですが、「身も蓋もないって何がですか?」などと突っ込まれたりすると、そのたびに「いや、まあ、飲もうぜ」と言葉を濁すしかありませんでした。

それに、言った自分自身が一番「身も蓋もなくない」ことがわかっているので、「身も蓋もない」と言い放っても全くもって釈然としません。

かつての上司の方が言い放った「身も蓋もないぜ」は、本当に私が「身も蓋もないこと」をわざと言ったタイミングでもあり、お互い「これは、身も蓋もないね」と合意している上での「身と蓋のなさ」なので、そこまできれいな形で「身も蓋もない」ゴールができたのは、私の適切なアシストのおかげなのです。

イタリア紙であればその名アシストを絶賛していたでしょう。

 

それにしても、この世の中の「身も蓋もなくない」状況には、まったくもって呆れ返るばかりです。たいていのことはオブラートに包まれて話されています。

ちょっとでも「身も蓋もない」ことを言えば、炎上、叩き、祭り、宵山、宵々山、山鉾巡行と、袋叩きにあってしまうわけですから、ある程度仕方のないことかもしれませんが、誰かが「身も蓋もない」ことを言ってくれないと、私はいつまでたっても「身も蓋もないぜ、それは」と倒置法で言うことすらできないのです。

私はいつまで「身と蓋」に囲まれながら、この極めていびつな業を背負って生きていかねばならないのでしょうか。

「身も蓋もない」と言わなければならないことが起きないことは、それはそれで素晴らしいことですから、私は幸せな生活をしているのだなあと思っています。

さすがにお客様に対して「身も蓋もない」ことを言う事はできませんし、お客様が言った「身も蓋もない」ことが、仮に本当に「身も蓋もなく」ても、「いや、そんなこと仰ったら身も蓋もないじゃないですか(笑」などと言うわけにはいきません。

きっと、会社や組織に所属していれば、「身も蓋もない」ことを言ってくれる人が現れるチャンスが多く存在するのかもしれないと思うと、少し会社に所属してもいいかなあと思ってしまいそうです。

しかし、また会社に所属するのなら、今後一生「身も蓋もない」なんて言えなくていいやなんて思ってしまいます。

そう言っちゃうと身も蓋もないですね。

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「お世話になります」は本当にワイルドカードか

「お世話になります」とか「お世話になっております」が気になっています。

その文法の正しさとか、伝えたい意味とか中身とかは置いておいて、つい使ってしまう強い魔力が「お世話になります・なっております」には含まれていると思います。

「お世話をしている」方なのか、「お世話をされている方」なのかはこの際置いておいて、とりあえず世間がお世話しまくっている現状には慣れてきました。

 

しかし、最近では脅迫でもされているかのように、初めてのメールやり取りでも、お世話になっておりますが横行しているじゃありませんか。私は初メールの時は「初めまして」と書くものだと思っており、実際そうしていますが、最近ではとにかく誰彼構わず、最初から「お世話」しまくっている気がしています。

以前の職場では、社内メールでも「お世話になります」社外のお客様にも「お世話になります」が横行していたので、個人的には「お世話のなり方に差をつけるべきではないか、お世話になっているありがたさを表すには少し表現が足りないのではないか」などと思っていたのですが、そのような「余計なお世話」もなきものにしてしまうほど、世間のお世話になり具合は大変なものです。

しかも、最近では

『お世話になります、AA会社のBBです』

という電話に対して(この電話には異論はありません)、

『あ、お世話になります〜』

と返すじゃないですか(私は特に)。

私は、自分が「あ、お世話になります〜」と答えを返すたびに、「お世話になります〜」ってなんなんだ、「あ、」ってなんなんだ、「これからお世話になる」というゲスな心情を明言しているのか、いや、もはや「いつもお世話になっております」という相手への敬意すら崩れ去っていて、短縮してもよいと思い込んでしまった現代人のサガなのかなどと考えてしまい、なんだかよくわからなくなってしまうことがあります。

 

一体なんのお世話をしているんだ、お世話ってなんなんだと考えていると、頭が混乱してきたのですが、この状況は「よろしかったでしょうか」が蔓延した時に非常に似ているのではないでしょうか。

「よろしかったでしょうか」症候群は、今では「声に出して言っちゃうけど聞きたくない日本語」として、世間から立派に認知されていますが、旋風を巻き起こした時はどこぞのアルバイト店員の言葉遣いがおかしいよね?みたいな話からだったと記憶しています。

その後、「よろしかったでしょうか」は正しい、正しくない、「よろしかった」が問題、「でしょうか」には問題がない、むしろ「よろしかったでしょうか」全体で考えた時に完成している、などいろんな議論が飛び交いました。

アルバイトのマニュアルに組み込まれた、というような噂が流れるほど「よろしかったでしょうか」はメジャーとなり、それまで散々批判を繰り広げていた40代以上のミドル層も「よろしかったでしょうか」を連発しているような気がします。

現在では「よろしかったでしょうか」は相手を挑発するためにわざと「よろしかったでしょうか」と発言する鉄板ジョークにまでその地位を高め、「全然大丈夫じゃない・全然大丈夫」論争と並ぶメジャーな地位まで上り詰めています。

 

私は、「お世話になります・なっております」は「よろしかったでしょうか」に匹敵するポテンシャルを持っているのではないかと考えています。

「お世話になります」からの「お世話していない」は十分に鉄板ジョーク化するだけのパワーと勢い、使いやすさがありますし、「お世話」という言葉に含まれる「最初から許されてる感」はTPOを選ばず使えるジョークとしてその地位を急激に高める可能性があります。

 

今後、「お世話になります・なっております」は新人教育に組み込む企業も増えてくるのではないでしょうか。

それが一般的になってくると、今度は「※お世話になっているかどうかは関係ありません」みたいな注釈がつくようになり、最終的には日本中が「お世話」しまくるようになる可能性があります。

 

このように、「お世話になります・なっております」は新たな「声に出していっちゃうし、聞いても心地いい日本語」というジャンルを確立し、その勢いを日本全国の社会人以外にも浸透していくに違いありません。

ですから今後も、「お世話」になっているかいないかに関わらず、「お世話になります・なっております」は日本を牛耳っていくと思うのです。

 

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BLOGの文体に悩んでいる話

BLOGの文体というか、語調には昔から悩んでいます。

 

文体には大きく三つの方向性があり、一つは「であるだ」調、もう一つは「ですます」調、そしてもう一つが「過度な口語」調です。

「口語」を「過度な口語」としたのは、「ですます」もある意味「口語」ですので、差別化するためです。ここで言う「過度な口語」というのは、いわゆるタメ語です。

 

基本的にこのBLOGは「ですます」調で書く事にしているのですが、過去記事をたどって頂くと、「であるだ」調で書いているものもあります。

「であるだ」調をやめた理由は特に明確にはしていませんが、書く内容が「であるだ」にハマらなくなってきたからだと思っています。

私自身は「であるだ」に強い憧憬があり、何度も「であるだ」に挑戦しては敗北してきた過去があるのですが、その度に「ですます」サイドに追いやられ、「であるだ」からの脱却を余儀なくされています。

 

そんな経緯もあってか、最近自分のBLOGに最適の文体は何なのか、ということをぼんやりと考えていました。

基本的には、BLOGという媒体を通じて表現したい著者の人物像にあわせて、語調を選んで行くのがいいと思いますが、客観的な意見も取り入れるべきだと思い、BLOGの語調について色々と調べてみました。

すると、色々と語調について触れられている記事がありましたが、それらの論点を取りまとめると以下のようになります。

ですます
=>丁寧、人柄の良さが出そう、初めての人にも優しい

であるだ
=>かたい感じ、マジメそう、とっつきにくさがある

口語
=>親しみやすい、ノリがいい

 

概ね私のイメージと外れていないのですが、これだとどうも現実感がありません。

丁寧は何を持ってして丁寧なのか、ノリがいいのというのはノリが悪いに比べてどの程度ノリがいいのか、その辺りを現実的な線ではっきりして頂かないと、私にはどの選択をとるのが正しいかがわかりません。

 

ですので、もう少し自分の中でブレイクダウンしてみるべく、私の勝手なイメージですが「ですます」、「であるだ」、「過度な口語」BLOGの著者に抱くイメージを考えてみました。

 

『ですます調』

  • 子供が二人いそう
  • 洋食にはビールを合わせそう
  • 自然素材のTシャツを着ていそう
  • Macbook Airを使っていそう
  • 外付けHDDはRAIDを組んでいなさそう
  • 映画が好きそう
  • Tsutayaより、hulu派

 

『であるだ調』

  • 子供はいない、または独身
  • 洋食には赤ワインを合わせそう、または洋食は食べないとか言いそう
  • 色の薄いジーパンを履いていそう
  • Thinkpadを使っていそう
  • 外付けHDDはRAID5をくんでいそう(満足はしていない)
  • 吹き替えの映画を見なさそう
  • フルーツ類が嫌いそう

 

『過度な口語』

  • 家族の話題はマジ勘弁
  • ナポリタンとかパねえ
  • デニムはリジッドから自分流に仕上げる
  • パソコンとかマジ勘弁
  • ハードディスクレコーダーはマジパンパン
  • アナ雪3回見た
  • フルーツヨーグルトマジうめえ

 

これらの中で自分に合っていそうなのは、やはり「ですます」か「であるだ」という事が言えそうですが、「過度な口語」も書いていて楽しそうな感じがしてしまいます。

しかし、こうやって見てみると、ネット上の海の中で「過度な口語」を演じてみるのも悪くないと思えてきます。

例えば、

昨日うちに届いたニューマシンにCentOSの7とかぶち込んだんだけどー、ifconfigとか使えなくなってんぢゃん・・・マヂ勘弁だゎ

とか、

RAID5の救済で一日つぶれたし・・・やっぱこのタイミングでRAID10にかえっかなー。金ねーっつーの。だし、リビルド中にデータ退避する場所必要だべ・・・^^;

みたいな、極めて日常生活をエンジョイしている感を出す事ができるのです。

 

私がこのBLOGで醸し出しているような、

ディスクの故障を考えると、RAID5も安全とは言えず、容量を減らしたとしてもRAID10を組む方が安全だと考えています。RAID10ではコスト面で検討の余地がありますが、長期目線で検討した場合に、決して高い投資とは言えません。

みたいな、陰気臭さというか、弾けてない感というか、一年中キーボードの隙間にはまった埃を気にしているような仄暗さみたいなものが感じられません。

前者はまるで、「RAID」や「CentOS」というクラブミュージックの話をしているかのようにノリノリです。

 

今後、ITエンジニアがさらにメジャーフィールドを駆け上がって行くには、「過度な口語」調からくる「シブヤ感」をまとわせる事が必要かもしれません。

「ですます」調は私に任せて、皆さんは先を急いで・・・!

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Skype Interview

グローバルな会社では割と当たり前のようですが、Skypeでのインタビューを受けることになりました。インタビューと言っても、Job Interviewなので、面接ということになります。

少ない伝手を頼り、険しい道をかき分け、少しずつ前に進んでいくと、思わぬところで中東の企業からのオファーをもらったのです。

まだInterviewを受ける段階なので、前に進めるかどうかはわかりませんが、今の私にとっては「こういうチャンスがあるのだな」と、目に見えて思えるということが大事だと思っています。

結局、これをやったら絶対に仕事がとれるとか、これをやったら絶対にうまくいく、なんてことは、テレビゲームの裏技でもない限り現実ではあり得ません。

ですので、こういう細い糸をそろりそろりと手繰り寄せて、なんとか一歩ずつ進んでいく事しかできません。

失敗をし続けて、最近ではやっと自分の心の沈みを小さくする事ができるようになってきました。昔の私であれば、浮き沈みが嫌だとか、落差が怖いとか、うまくいかなかったらどうしようとか、保守的な考えが先に立ち、挑戦する事をなるべく避けていたと思います。

今は、自分自身を挑戦せざるを得ない場所に追い込む事で、少しずつ壁を破る努力ができるようになってきていると感じています。

ずっと、ある程度の期間会社に所属している事によって、成長曲線がなだらかになっていく事を感じていました。今感じている自分の成長は、今北純一さんの言葉を借りるなら、「クオンタムリープ」です。

まだまだ寝返りを打ち始めた赤子の状態ですが、必死に挑戦して、成長することを忘れなければ、ある程度の形には持っていけるのではないかと思っています。甘く考える事はよくないことですが、一生懸命考え抜いた先に待っているのは、結局「エイヤ!」なのかなと思っています。

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確定申告と会計ソフト

独立したてですが、もうすぐ年末ということもあり、確定申告の準備を早めに始めています。

まだまだ仕事の連絡が頻繁に入る状態ではないということもありますが、単純にいろいろ調べていくのが面白いというのもあります。

青色申告と白色申告の違いや、経費按分、会計ソフトは何がいいのかなど、考えることはたくさんあります。いろいろと調べていくと、しっかりしているんだかザルなんだか、何とも言えない感情に包まれることが多々あります。

難しいのは使われている言葉だけです。そこまでガチガチにやってしまうと書類をチェックする方も大変だし、という内情があるのでしょうか。いずれにしても、少し調べるとわかることが大半なので、あまり神経質にならなくても青色申告を行うことができそうです。

いろいろ悩んだ結果、クラウド会計ソフトはMoneyForwardのMFクラウド確定申告を使うことにしました。

というのも、プライベートでMoneyForwardのサービスを使っていて、その使い勝手が気に入っていることと、請求書のサービスもあるので、MFにひとまとめにしてしまうのが楽なのではないかと思っているからです。

無知というのはある意味強い部分もあって、あまり気にせずにずんずん進んでいけるところがあります。これは、社会人になりたての若手の頃の仕事の仕方と似ているところもありますが、爆走してみると意外と大けがはしなかったりするものです。もちろん、体中に擦り傷はいっぱいできているわけですが、それこそ唾をつけていれば治るようなものでしょう。

日々、自分の知らないことがこんなにも多いのかと、驚いてばかりです。しかし、できないからと下を向かずに取り組んでみると、案外たいしたことがないものばかりです。

やはり、何事もやってみないと始まらないのだと、日々強く感じています。

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羽生善治著 大局観読了

決断力を通読からの大局観通読で、羽生さんの思考プロセスを学ぶことができました。

本書の中で、リスクを取らないことは最大のリスクであり、リスクを最小化するにはリスクを取り続けることが重要であると、はっきりと述べています。

「リスク」という言葉は便利なので、我々は何でもかんでも「リスク」という言葉に置き換えてしまいがちです。本来、「リスク」に分類されるべきでない事象であっても、それを「リスク」であると都合よく解釈して、その行動を取らないことによって自分が何か得をしたかのように考えがちです。

私は、行動しなかったこと、というのは何かを選択したわけではなく、決断を避けたことになると思っています。現状維持というのは選択ではなく、変化を避けたことになると思います。変化を避けて現状維持をしたとしても、確実に時間は過ぎていくし、老いていきます。

老いていくということは、厳密にいうと現状維持ではありません。長い目で見ると、現状と同様のタスクは同じ時間ではこなせなくなっていくので、ジリ貧になっていくしかないということになります。つまり、選択しないということは、選択するということよりもはるかに大きな「リスク」であるということになります。

また、羽生さんはこうも言っています。

一つ選択を誤り、失敗したところで、取り返せないほどの大きなマイナスになることはなく、一つ正しい選択をしたところで、大躍進するほどの大きなプラスになることはない。

選択は選択でしかなく、マイナスを積み上げ続けなければ、いつだって取り返せるということだと思います。

リスクを取り続ける、今できる最善のことをやり続ける、そうすることによって、自分を取り巻く世界はどんどん好転していくと思います。短期的に見れば、年収が下がったり、貯金を少し失ったりすることもあるかもしれませんが、最も効率のいい投資は自分への投資です。

人生は楽しく生きなければ何十年もの損失です。いやだと思いながら過ごすことも、自分の人生を無駄にするリスクを取り続けていることになります。

大局観の最後の4行には、羽生さんの人生に対する大局観が綴られています。この4行は、今まで読んだどの本よりも素晴らしいラストでした。

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プリンタ選びにわくわく

誠に規模の小さい話で恐縮ですが、最近の私のもっぱらの関心はSOHO用A3対応レーザープリンタです。

現在、仕事で使っているプリンタはA4サイズのインクジェットなので、速度的にも品質的にも非常に心もとないのです。ビジネスを始める前にレーザープリンタを購入するか悩んだのですが、初期費を可能な限り抑えたいという思いがあったのと、可能な限り印刷物を使わないプレゼンをしていこうという思いで、プリンタの購入は見送りました。

現在のところ、A3を印刷する頻度がそこまで高くないことに加えて、必要であれば近くのコンビニでもA3の印刷ができる時代になったので、特に問題なく対応できています。ですが、ふとした印刷物や、お客様からの資料が大きいサイズのもので、紙で書き込みながら確認したいときなど、A3のプリンタがあるといいなあと思うことが増えてきました。

とまあ、そういう趣旨の話をしたかったわけではなく、どのスペックがいいか、どの価格がいいか、どのぐらいの売り上げが立てば購入に踏み切ろうか、そういうことで頭を悩ませている瞬間ですらも、非常に楽しいということです。

これまでの生活では、プリンタの購入にここまでフォーカスを当てて、どうしよう、どうしようと頭を悩ませることはなかったように感じます。狙っているプリンタは、6万円程度のレーザーにしては安価なものです。

この6万円は投資に値するのか。このプリンタを購入したら、自分の仕事にどういうメリットがあるのか。このプリンタを何年使うのか。欲しいのか、必要なのか。トナーがいくらで、紙はいくらで、コストはいくらで、何枚印刷できて、重量は何キロで、発売はいつで。

私はこういうごく当たり前のことですら、今まで満足に検討することができていなかったという事実に気づくのです。自分ができていると思っていたことが、全くできていないこと。自分がハイスキルだと思っていたことが、十分ではなかったこと。そういうことに気づくことができるのです。

自分の実力のなさを客観的に知ることができたとき、私は一瞬だけ激しく落ち込み、地面に膝をつかんばかりの勢いで、自分を恥じます。その後、一瞬で不死鳥のようによみがえり、「今、気付けたのはラッキー!自分はラッキーボーイだ!」と自らを無理矢理、鼓舞します。

こうやって自分が少しずつ成長していけることは、本当にありがたいことだと思います。まだまだ先行き不透明ですが、妻と家族に感謝し、一歩ずつがんばっていこうと思います。

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目標設定は遠め?近め?

実際は2回目の通読ですが、改めて堀江さんのゼロを通読しました。

堀江さんは知らない人の方が少ないくらいの超有名経営者ですが、私は彼の言葉は端的でシンプルで、かつ澱みがないので非常に好きです。

私もどちらかというと、端的にシンプルに課題のみにフォーカスした言葉を発するので、その辺りが非常に共感を覚えるところだと思います。

前回読んだ羽生さんの決断力や今回のゼロに通ずるところとして面白いと思ったのは、目標の設定の仕方です。羽生さんや堀江さんは目標を限りなく近いところ、見えやすいところに設定し、全力でその日その日を乗り越えていくということを仰っています。

一方で、ナポレオンヒル博士など人に目標設定をさせることを生業としている人たちは、三年後、五年後を明確に設定しなさいという言い方をしています。もちろん五年後から逆算して近い目標をたてるという意味では前者と違いがないのですが、羽生さんや堀江さんは遠い未来のことなんて考えても仕方がないと言っています。

私もどちらかというと、遠い未来の目標に向けてがんばろう!というタイプではなく、今の一瞬一瞬を全力で突破していく方が性に合っています。しかし、ある程度三年後、五年後のイメージがなければどこに向かうかがブレブレになってしまうので、こういう世界になればいいなあ、という「自分」がどうなるというより「世界」がどうなるという、身の程知らずの目標は設定してあります。

たまに、目標設定の仕方がよくわからない、という相談を受けることがあります。ご自身は、自分に目標がないから設定できないのだと思っていらっしゃることが多いようです。

私は、その方に目標がないのではなく、目標を設定し慣れていないだけだと思います。目標設定は自分に合ったやり方がぼんやりとつかめてくると、だいたいこの位置に目標を置けばいいのだなとわかってくることがあります。それもある程度場数というか、様々な物事に対して目標をおいた経験が合った方が、あたりがつけやすくなります。

社会人にとって、目標設定の練習になるのは資格試験です。仕事によっては、ある程度ブレイクダウンした状態でタスクが落ちてくる場合があるので、うまく目標設定につながらない場合があると思います。しかし、資格試験の場合は、合格するかどうかもわからない試験に対して、ある程度自分でマイルストーンを打って進めていかなければならないので、遠くの目標と近くの目標設定の繰り返しを練習することができます。

IT関連に従事する方であれば、情報処理技術者試験が目標設定の練習に適していると思います。この試験は毎秋、毎春に行われることが決定しており、科目も決まっているため、達成したい遠くの目標は既に決まっています。

あとはその遠くの目標に対して、いかに毎日の進め方の目標を設定するかで、合否に大きく影響があります。受験料はわずか5000円程度ですし、達成できれば大きな自信と経験につながります。

資格を前面に押し出して商売をすることはお勧めできないですが、資格をとったという事実を自分の自信にかえて、商売をするのは非常に有効だと思います。

こうやって目標設定を日常に取り込んでいくと、自分なりの目標設定がつかめてきて、さらにうまくなっていくのだと思います。

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羽生善治著 「決断力」を読了

羽生さんが本を出されていることは以前から知っていたものの、なかなか読む機会に恵まれずにいました。

内容としては、期待以上にすばらしいものでした。淡々とした文章と、そこから読み取れるまっすぐな信念には、素直に感動しました。

私はあまり記憶力がいい方ではないため、印象に残った言葉を書き留めておくようにしておくのですが、決断力はすばらしい言葉が多すぎて、2ページにわたって書き留めてしまいました(通常は1ページです)。

なかでも、個人的に非常に心が救われたのは、「仕事に行き詰ったときほど整理整頓」という言葉です。実は、これは羽生さんのお父さんの言葉だということなので、羽生さんご本人の言葉ではありませんが、非常にすばらしい言葉だと思います。

この言葉での整理整頓とは、行き詰った仕事を整理しようという意味ではなく、一回仕事を切り上げて部屋の整理整頓をしようということを言っています。もやもやしたまま考え続けていてもいい結果は出ないので、一旦部屋をきれいにしてすっきりしてから再会しよう、ということだと思います。ありふれた言葉のようで、意外とここまでぴったりくる言葉には出会っていません。語感も完璧だし、内容も最高です。

その他にも、自分がコントロールできないこととコントロールできることを明確に分ける考え方は、まさに今、自分自身が課題としていることなのです。

人は、自分ではどうすることもできないことで悩むことが非常に多いと思います。かく言う私もその一人ですが、自分ではどうしようもないことで悩むのは時間の無駄というものです。

消費税が上がったらどうしよう。会社をクビになったらどうしよう、ガソリンの値段があがったらどうしよう、病気になったらどうしよう、どれもコントロールのしようがありません。

本書の中で再三にわたって書かれている、自分の頭で考えること。この重要性は、この変化の時代に最も問われていることではないでしょうか。

自分ではどうしようもないことに怯えて踏み出すことを止めるのではなく、自分の頭で考えて混沌の中に踏み出していくことは、これから先の自分の人生を面白く個性的なものにしてくれると思います。

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