なんとかなるのかならないのか

独立してからつけているノートがある。

 

内容は別に仕事に関わるものだけではない。筋トレのメニューから、思いついたアイディア、仕事になりそうなことから世迷い言、泣き言まで、思いつくことをつらつら書き連ねている。

以前の投稿で触れたスマートノートが、はからずも、自分にとっては独立記録になっているわけだ。

 

書いている内容は、とても人に見せられるような内容でないことから、実際に手書きのページをお客様に見せて商談したものまでとにかく幅広い。

最近の内容をちらっと見返すと、DVB-ASIについて復習したり、お客様への提案内容を考えたメモ書きといったような仕事に関連するものもあれば、ゲイバーママの会話の距離感、なんていう一見するとよくわからないメモ書きもある。

本当になんでもかんでも適当に書いているのだ。

 

書いてあることを読みかえしてわかることは、シンプルだ。たいていの難しいと思えたことは、後から見れば、それなりになんとかなっているということだ。

いつから自分は、取り組む事すべてに大成功しなければならないのだと思い込むようになってしまったのか。なんておこがましい。
何かに大成功することなど、人生で一度あるだけでも大儲けなはずだ。

それなのになぜ、自分が取り組む事全てに大成功しよう、大成功しなければならない、そういうふうに思い込みながら生きるようになってしまったのだろう。

大体、大成功しなければならないと思い込んでいた時の自分は、大成功できていたのか。

できていない。

大成功していなくても、何かと理由をつけて、「これはこれでOK」みたいに事実に蓋をして生きてきたのではないか。

 

書店が好きで、自宅近くの書店に毎日のように行く。

本の表紙で「人生はニャンとかなる」と言っている猫と、毎日のように顔を合わせている。

そうなのだ。
「ニャンとかなる」ものだ。

 

意外と「ニャンとかなる」ことを知ることが、「ニャンとかする」秘訣ではないかと今では思う。

そして、意外と「ニャンとかなる」ことを知るための秘訣が、日々思う何かを書き留めておくことではないかと思う。

 

あの猫の本の中身はまだ読んだことがないけれど、日々世話になっている。
今度買って、礼でも言わなくちゃ。

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