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身も蓋もないことが全く起きない話

あれは、いつの頃だったでしょうか。

新しいビジネスを検討している打合せだったと思います。かつて一緒に働いていた上司の方に、「おまえ、そんなこと言ったら身も蓋もないぜ(笑」と言われて以来、私の中で「身も蓋もないと言いたい」欲求が渦巻き続けています。

 

「身も蓋もない」という極めて完成された語感もさることながら、その言葉を使わせてくれる状況がまったくもって起きないその使用機会のレア差に、私の使用欲は高まるばかりです。

飲み会や、ちょっとした雑談の中で、適宜「そりゃ、身も蓋もないな(笑」などとぼそっと呟くようにして欲求を騙してきたのですが、「身も蓋もないって何がですか?」などと突っ込まれたりすると、そのたびに「いや、まあ、飲もうぜ」と言葉を濁すしかありませんでした。

それに、言った自分自身が一番「身も蓋もなくない」ことがわかっているので、「身も蓋もない」と言い放っても全くもって釈然としません。

かつての上司の方が言い放った「身も蓋もないぜ」は、本当に私が「身も蓋もないこと」をわざと言ったタイミングでもあり、お互い「これは、身も蓋もないね」と合意している上での「身と蓋のなさ」なので、そこまできれいな形で「身も蓋もない」ゴールができたのは、私の適切なアシストのおかげなのです。

イタリア紙であればその名アシストを絶賛していたでしょう。

 

それにしても、この世の中の「身も蓋もなくない」状況には、まったくもって呆れ返るばかりです。たいていのことはオブラートに包まれて話されています。

ちょっとでも「身も蓋もない」ことを言えば、炎上、叩き、祭り、宵山、宵々山、山鉾巡行と、袋叩きにあってしまうわけですから、ある程度仕方のないことかもしれませんが、誰かが「身も蓋もない」ことを言ってくれないと、私はいつまでたっても「身も蓋もないぜ、それは」と倒置法で言うことすらできないのです。

私はいつまで「身と蓋」に囲まれながら、この極めていびつな業を背負って生きていかねばならないのでしょうか。

「身も蓋もない」と言わなければならないことが起きないことは、それはそれで素晴らしいことですから、私は幸せな生活をしているのだなあと思っています。

さすがにお客様に対して「身も蓋もない」ことを言う事はできませんし、お客様が言った「身も蓋もない」ことが、仮に本当に「身も蓋もなく」ても、「いや、そんなこと仰ったら身も蓋もないじゃないですか(笑」などと言うわけにはいきません。

きっと、会社や組織に所属していれば、「身も蓋もない」ことを言ってくれる人が現れるチャンスが多く存在するのかもしれないと思うと、少し会社に所属してもいいかなあと思ってしまいそうです。

しかし、また会社に所属するのなら、今後一生「身も蓋もない」なんて言えなくていいやなんて思ってしまいます。

そう言っちゃうと身も蓋もないですね。

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