受注失注の重み

自分でビジネスを始めてみて思うことがあります。それは、受注したとき、失注したときの高揚感と胸の痛みです。

おかげさまで、少しずつ手探りの提案をして、いくつか受注を頂いたり、いくつか失注を経験したりしています。やっていることはサラリーマン時代と大きく変わりませんが、自分自身の心の中は全く違って感じられます。

サラリーマンをしているときは、受注をしても失注をしてもどこか「他人事」のような部分があり、心から喜んだり、心から悲しんだりすることはありませんでした。

もちろん気持ちの面では受注を喜び、失注を悔しく思っていたのですが、完全に自分のことだと受け止めることができずにいたのです。それはきっと、ビジネスがどこか「他人事」のものであったからです。自分の中で、他人から頼まれたことをやっている、という感覚を捨てきることができなかったからでしょう。

特にエンジニア職として、どちらかというと、提案に「ついていく」側だったので、その辺りのよそよそしさをぬぐい去ることができずにいたのかもしれません。

しかし、今はすべての提案を自分で考え、自分で試し、それをなんとかビジネスに結びつけていくというプロセスを繰り返しています。圧倒的に失注の方が多く、何も前に進められずに悔しい思いだけをして終わることが殆どです。

ですので、失注の苦しみは何度も味わっておりますが、そのときの胸の痛みはサラリーマンをしていた頃とは比べ物にならない痛みです。一生懸命頭をひねって導きだした我が子のような提案を真っ向から否定されたような、そんな谷底に突き落とされるような気分になるのです。

それはきっと、何もかも自分で考え、何もかも自分で決断しているからこそ、その提案にかける思い、お客様の環境をよくしたいという考えも人一倍になるからだと思います。

対して、受注のときの喜びは、それはもうすばらしいものです。自分の考えを人に認めて頂けるということが、これほどまでにすばらしいのか、こんな思いをすることができるのなら、もっと早く独立すべきであったと、心から思えるのです。

わからないことだらけ、失敗だらけ、できないことだらけで奮起と挫折の毎日を過ごしています。楽な道を進みたい、ショートカットしたいと思うことばかりです。

それでも、この受注の喜び、失注の痛みを知ることができた。それだけでも、自分で仕事を始めてみてよかったと思っています。なぜなら、将来私に仲間ができたとき、このときの気持ちは彼ら、彼女らに伝えることができると思うからです。それで少しでも、その人それぞれに合った働き方をしている人が増えたらいいなと思うのです。

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